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第8回 注射を打たないと・・・ 


 インフルエンザ予防接種のシーズンが到来した。当院でも、連日たくさんの人が予防接種のために外来を訪れている。予防を心がけて毎年接種している大人、受験があるから今年はぜひ受けたいという学生、怖くてちょっとおびえながら診察室に入ってくる子どもたち。小児から高齢者まで、家族みんなでかかることができる当方のクリニックでは、一家総出で来院される方も多い。

 子どもは小児科で接種したが、親は忙しくて内科に行く時間がなく、やらず仕舞いということも多かろう。科が分かれているのは病院側の都合だが、利用する側にとっては甚だ不便なことがある。
 注射は嫌なもの。ただでさえ面倒になるものが、医療機関にアクセスしにくいとなると、途端に足も気持ちも遠のく、というものだろう。

残念ながら当院では「親は後で・・・」という言い逃れはできないのだ。


親も注射は怖い

 家族揃って接種すると、誰が注射を怖がったか、泣きそうになったかについて、診察室でよく家族が話題にしているのを目にする。最近の子どもたちは、昔に比べてたくさん予防接種をする。だんだん慣れてくるのか、何食わぬ顔で接種される幼児をよく見かけるようになった。

 その反面、いつも子どもを連れてきて接種させている親のほうが、意外と注射を怖がっていたりする。

 「いつも注射させるほうだったのでよかったですが、実は、注射嫌いなんです。」

 子どもの接種を先に済ませ、診察室を出してから小声でささやく親も。もちろん多くの大人は声には出さないが、内心はそんな気持ちかもしれない。

 今年は依頼があり、企業にまで接種に出向いた。接種費用を一部助成してもなかなか従業員の予防意識が高まらない、とのことで苦肉の策だったようだ。幸いにも、例年になく多くの人が予防接種を受けた。

 しかし、従業員たちは渋々だったかもしれない。

 大人になれば怖くなくなる、ということはないようだ。注射の怖さには、年齢はあまり関係ないのだ。


打たないと死んでしまいますか?

 ある日、外来に定期通院されている高齢女性が、家族に「連れられて」インフルエンザの予防接種を受けにきた。女性は大の注射嫌いで、採血するときにはいつも大騒ぎになる。それでも、家族は予防接種をしてもらいたいようだ。毎年なんとか注射してもらおうと、直前まで本人の説得に一生懸命だ。

 「これを打つと、かぜをひいて苦しい思いをしなくて済むんだから。」
 「これを打たないと、死んでしまいますよ。」
 「ねえ、先生?」

 強引な説得に負けた女性は、結局、毎年予防接種を受けることになる。

 しかし、こちらの心境としては複雑だ。

 なんとか受けてもらうための説得とはいえ、「かぜをひいて苦しい思いをしなくて済む」(もちろん、かぜの予防ではなくインフルエンザの予防だ)というのはまだしも、「打たないと死んでしまう」という説明には賛同できない。やや言い過ぎだろう。

 そもそも、インフルエンザワクチンは、それほどの効果が期待できるものだったろうか?

 ここからは、根拠がないと質問にはうまく答えられないし、前にも進めない。インフルエンザワクチンのメタ分析があったはず・・・疑問が頭をぐるぐる回り出し、とても気が気でなくなる。早速確認してみることにする。


メタ分析から

 65歳以上に対するインフルエンザワクチンの効果を検討した研究(メタ分析)は2010年に発表されている1。この分析では、インフルエンザワクチンを投与すると、投与なしまたはプラセボに比べてインフルエンザの発症や死亡が少ないか、を検討したいくつかの研究結果を統合して分析している。

 結果の要旨は以下の通り。

表 65歳以上のインフルエンザワクチンの効果(メタ分析):文献2より引用

O:Outcome E:Exposure C:Comparison

 インフルエンザ様疾患や検査で確定されたインフルエンザの発症は、ワクチン接種群のほうがそれぞれ41%、58%少ないという結果になっている。ワクチン接種により、インフルエンザ発症予防効果が認められている、ということであろう。
 しかし、死亡まで予防できるかどうかについては、質の高い研究は1つのみ。十分検討されているとはいえないが、ワクチン接種しても死亡は少なくならない、という結果になっている。

 この結果を「日常のコトバ」で説明すると、このようにでもなるのだろうか。

 「ワクチンを打つと、インフルエンザにかかったり、高熱が出たりは少なくなるかもしれないけど、死ななくなるというほどの効果はなさそうだよ。」


死ぬかもしれないから強制する

 予防接種の話であれば、まだ微笑ましいエピソードである。「死ぬかもしれない」というのはいささか過剰な演出ではあるが、子どもに打たせる、親に打たせる、その決断はそれほど難しくない。

 しかし、その延長線上には、経管栄養はどうするか、延命治療はどうするか、という問題までつながっていることを、忘れてはいけない。
 
 どちらも同じ医療行為だが、容易な判断とそうではない判断の分水嶺はどこにあるのか。頭の中でその線引きは、一体どのようになされているのだろうか。
 予防接種は容易で、延命治療は容易ではない。誰もがそのように判断してしまっているところに、深刻な問題が潜んでいるように思えるのだ。

 「死ぬかもしれない」から「医療」を強制する。どうも構図は似通っている。

文献
1. Jefferson T, Di Pietrantonj C, Al-Ansary LA, et al. Vaccines for preventing influenza in the elderly. Cochrane Database Syst Rev. 2010 Feb 17;(2):CD004876. PubMed PMID: 20166072.
2. CMECジャーナルクラブ編集部.65歳以上に対して、インフルエンザワクチンは効果がありますか? CMECジャーナルクラブ 2010-10-25
http://www.cmec.jp/cmec-tv/products/detail.php?product_id=41


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