マガジンTopに戻る>>連載目次

Tweet


第5回 100歳の脂質異常症


 例えば、30年以上、脂質降下薬を飲み続けているという100歳の男性が、歩いて外来に現れたとしよう。

 別に、年齢は90歳でも110歳でもいい。特にそこにはこだわりがあるわけではない。ただ、一般的には超高齢者と分類される年齢層だったとしよう。家族と一緒に、とても元気に暮らしている人だ。

 幸い、これまで長い人生の中で入院生活とは縁遠かったようだ。心筋梗塞や脳梗塞などの心血管疾患はわずらっていない。

 あなたは、この男性の脂質降下薬について、どう思うだろうか。

 そもそも、脂質降下薬の処方はどのように始まったのだろうか。かれこれ30年以上前のこと、本人も家族も記憶は定かではない。退職後に転居を繰り返し、病院を転々としたため、この点についての記録は残されていないようだ。ある時、検査で「動脈硬化がある」と言われてから開始された、という本人のおぼろげな記憶があるだけだ。一体、それがどんな検査であったのか、もはや知る由もない。
 ただ、最近の血液検査では、コレステロール値は正常範囲となっていた。その他には、とりたてて異常値もなかった。


もしも、治療をやめたいと思っていたら・・・

 男性はこれまで月一回の通院を欠かすことがなかった。しかし、外来通院が大変になってきていた。長男か長女が毎回通院を付き添ってくれてはいるが、子とはいえすでに高齢だ。自分たちも病気もわずらっており、体調もすぐれない。
 「これでは、自分たちも倒れてしまいます。なんとかならないでしょうか?」

 この男性に脂質降下薬は必要だろうか?それとも、中止したほうがよいのだろうか?


もしも、治療のお陰と感謝していたら・・・

 男性は、これまで月一回の通院を欠かすことがなかった。ここまで元気で来られたのも、通院していたお陰だと、感謝しているようだ。
 「これも先生方のお陰です、ありがとうございます。もういつ死んでもいいと思っています。」

 この男性に脂質降下薬は必要だろうか?それとも、中止したほうがよいのだろうか?


高齢者の脂質降下薬の効果は?

 脂質降下薬は、コレステロール値を低下させることで、心筋梗塞などの心血管疾患を予防し、元気で長寿を目指して行われる治療である。

 すでに平均寿命を大きく上回り、元気で長寿を達成されているこの男性に、どの程度の効果があるのだろうか。

 2010年に80歳以上の脂質降下薬に関する研究(システマティックレビュー1)が発表されている。結果の概要は以下の通り。

●コレステロール値は低いほうが、総死亡が多い傾向にある。(逆Jカーブ
●80歳以上については、脂質降下薬が総死亡を減らすという明確な根拠はない。
●情報が十分ではないため、80歳以上に対して脂質降下治療をすべきかどうかの判断を下すことはできない。

 80歳以上のコレステロール値と総死亡の関係についても、以前紹介した「しのカーブ」となっている。BMIと総死亡の関係と同じだ。コレステロールも悪者にされて久しいが、常に高ければ高いほど悪い、というわけではないようだ。

 このシステマティックレビューに引用されている、80歳以上の脂質降下薬の治療効果に関する臨床研究は6つのみだ。2つの観察研究を除く、4つのランダム化比較試験の結果を以下に示す。

表 80歳以上を含む脂質降下薬のランダム化比較試験(文献1からの抜粋)



治療するかどうかの賭け

 どこまで追求しても、エビデンスが示すことは、むしろ曖昧な情報にすぎない。どうすればよいかの答えは得られないことが多い。エビデンスに頼って治療方針を決めることができる、というのは原理的に不可能なことなのだ。

 さらには、どこかに参照すべき科学的に「正しい」エビデンスがあるに違いない、という前提自体も疑う必要があるだろう。

 科学的に「正しい」エビデンスに則った「正しい」医療というものはない。正解や正攻法があるわけではなく、誤解を恐れずあえて言うとしたら、どちらかといえば賭けに近いのかもしれない。
 あいまいな情報をもとに、治療するかどうかを判断するのは、(患者や医師としての)あなた自身なのだ。


文献
1. Petersen LK, Christensen K, Kragstrup J. Lipid-lowering treatment to the end? A review of observational studies and RCTs on cholesterol and mortality in 80+-year olds. Age Ageing. 2010 Nov;39(6):674-80. PubMed PMID: 20952373.
前回 連載目次へ 次回