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第3回 死のカーブ


 診察室の場面で、もうひとつここに書いておきたい記憶がある。

 「なかなか痩せられなくて、すみません。

 太っている(と自覚している)ことがとても申し訳なさそうな表情で語る女性。なぜか額にたっぷり汗をかいている。こちらも、よく遭遇する光景だ。

 身長、体重から算出されるBMI(日本語ではボディマス指数という)は長らく22が標準とされてきた。25以上の過体重とされた人は、一般的に生活習慣を念入りに聴取され、改善点を指摘される慣習となっている。そのような体験を繰り返ししてきたからこそ、このようなコトバが吐き出されるのだろうか。

 「なかなか太れなくて、すみません。」

 そう言う人はほとんどいない。太れないことの表明はあっても、謝罪表明されることはない。「痩せていることが善、太っていることが悪」といった構図が、いつのまにか刷り込まれてしまったのだろうか。

 小太りは本当に体によくないのだろうか?この疑問を検証するために、19のコホート研究を集めたメタ分析が2011年に発表されている1

 対象は日本人を含むアジア人110万人、平均9.2年間の追跡期間というデータである。東アジア人のBMIと総死亡率の関係をグラフに示す。BMI 25.1~27.5で総死亡率が最も低く、その前後で高くなるU字カーブとなっていた。
 この結果を見る限り、小太りのほうがよさそうだ。


図 BMIと総死亡率(文献1より作図)

 ここで注目すべきは、むしろ痩せているほうが総死亡率は高いという現象だ。どんなに肥満でもBMI 22.6~25を1としてもせいぜい1.5倍総死亡が多くなる程度である。しかし、BMI 15.1~17.5では1.84倍、BMI 15以下では2.76倍だ。
 まさにこれはU字カーブというよりも、「し」のカーブと呼ぶに相応しい。太った人には朗報であるが、むしろ痩せのほうが死の危険が迫っているのかもしれない。
 
 このような科学的知見が発表されても、医療現場には何ら大きな変化は起こらない。毎日、全国の診察室では「肥満狩り」が行われている。
 まるで、どこかで司令官に命令されているかのように、揺らぎなく。

 もちろんこの結果から、ただちに肥満は安全宣言をするつもりはない。あくまでも小太りが最も長生きで、痩せている人が長生きではない、ということがわかっただけだ。
 そのことは、さして重大なニュースではない。ただそれだけのことなのだろう。

 これまで浸透していた科学的常識があっという間に覆される。そのようなことは近年、決して稀なことではなくなった。古き良きものは失われていく。新しい科学的常識を受け入れるまでだ。それが科学的姿勢というものであろう。

 しかし、ずっとあると信じていたものが忽然と姿を消してしまう。人はその消滅をなかなか簡単には受け入れられるものではない。そして、思わず自分の目を疑いたくなるものだ。何かの間違いではないだろうか、と。

 そのようなことが、毎日、医療現場で起きているとすれば、ちょっと恐ろしいことになっているのかもしれない。

 象はきっと、どこかに現れている。

文献
1. Zheng W, McLerran DF, Rolland B, et al. Association between body-mass index and risk of death in more than 1 million Asians. N Engl J Med. 2011 Feb 24;364(8):719-29. PubMed PMID: 21345101.
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