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第2回 医学コミュニケーション:形(型)を学ぶ

宮崎: こんにちは。2回目の今日は、引き続き中山健夫先生に、トム・ラング先生の医学コミュニケーションについて伺います。
中山先生、前回は、トム・ラング先生の著書でコミュニケーションスキルと、背景にあるプリンシプルやスピリッツの素晴らしさについて伺っていましたが、その点についていかがでしょうか。

中山: ラング先生は大変広い視点をお持ちで、かつインプットされた知識がきちんとインテグレートされていることを感じます。具体的な医学コミュニケーションとしてのスキルが気負いなく具現化されているのはすごいですね。本書は、まさにその幅広い知識と柔軟でユーモアに富むお人柄の産物ですね。

宮崎: じつは、そのユーモアに翻訳者は泣かされもしました(笑)。そのユーモアが書けるほどに、トム・ラング先生の中には知識が染みこんでいる。そうでなければユーモアは出てこないと思います。

中山: そうですね、ランダム化比較試験で書くべきことは何かという、チェックリストだけなら、それを正確に訳せればいいわけです。しかし、ユーモアの味のようなものを伝え切れたかどうかはやや心配なところでもあります。私たちが慣れないユーモアを無理に使っても不自然になってしまいそうですが、たまには、生真面目さに、精神と技術、それからユーモアが合わさっている本に接するのは大事なことですよね。

宮崎: 本当にそう思います。そういえば、2010年の冬に中山先生はトム・ラング先生にお会いになりましたが、印象はいかがでしたか。

中山: 「文は人なり」と言いますが、まさに書かれる文章そのままで、本当に気さくなインテリという印象でした。古武道のマスターで日本通でしたね。奥様もご一緒で、とても楽しく過ごさせていただきました。
そう、この本の最後のほうにラング先生の写真があってもよかったかもしれませんね。
本を書く時に、どんな人間が、どんな顔をしてその本を作っているかという情報は大事だと思います。というのは、最近は医学研究でも、社会に対する透明性や説明責任を求められることがこれまで以上に多くなってきています。2000年代に入って推進されたゲノム科学のように、かなり基礎的な科学分野でも、一般の方との対話の場として「ゲノム広場」のような取り組みがありました。生命科学・生物医学研究、疫学研究・臨床研究など様々な領域でどんなメンバーがどんなふうにして仕事をしているかというホームページを作って情報発信をしているグループも増えてきました。医学研究、または研究者に対して「自分たちの血液からいつの間にかDNAが採られて、何に使われているのかわからない」というような、不信や不安を感じられる方々がいても不思議ではありません。それに対して、研究をやっている人たちの顔がわかってくると、そんな見方もだんだん変わってくるのではないでしょうか。

トム・ラング先生(右)と中山健夫先生(左)が翻訳の打ち合わせ中にカメラを向けた途端・・・。トム・ラング先生は・・・!?(2010年2月、東京)


宮崎: 研究者もひとりの人間で、こういう人たちがやっているという感じですね。

中山: 本の種類によるとは思いますが、写真のような付加情報があるといいなと思います。

宮崎: そうですね。そういう写真も含めて、トム・ラング先生の本の中にも図表や写真の出し方がありますが、それらも含めてのコミュニケーションが成り立つのかもしれませんね。

中山: コミュニケートする情報自体が大切なことはもちろんですが、それに付加されている、もう一つ別の次元の情報も大事です。同じことを伝えるにしても、どんな人がどんな顔をしてどんなふうにして伝えるかによってメッセージも変わってきますから。内容がどんなに良くても、完成品にしていくには、きちんとしたライティングやプレゼンテーションで包んであげる必要があるでしょう。

宮崎: 「内容さえ良ければというのは大きな間違い」ですね。

中山: 「内容が良ければいい」という雰囲気は昔からあったのかもしれません。「形を整える」というと、すぐに「うわべだけ繕っても大切なのは…」と言い返されてしまいそうですが、中身とその見せ方は本当に不即不離ですね。
どちらが先かは微妙なところがあって、何かの習い事でも、「まず、それなりの格好をする」ことが大事で、その格好をすることの大事さは、ある程度しないとわかってこない、ということもあります。ですから、まず「形から入る」というところも大事にしておきたいなと思います。

宮崎: 形から入る時は、その形が目的ではなくて、その先にあるものを見つめつつ、という姿勢が大事だと思います。形だけというのはすこし違うかなと。

中山: 医学コミュニケーションの「形(型)」としてのスキルをどのタイミングでどのように教えるのが良いかは、確かに慎重に考えていく必要があることでしょう。実際にその「形(型)」を知っておくことの意義は、多くの人が理解されますが、どういうタイミングで、どういう時に、どういうふうに学んでいくかということは、あまり議論されていません。医学の場合、学部で学ぶか、大学院で学ぶか。もちろん、同じものを学んでも年齢や成長段階で、そこから得られるものの深みというのは当然違うと思います。

宮崎: 学ぶ人のレディネスによって違ってくるわけですね。

中山: もちろんそうです。同じような内容を、高校生だってある程度はわかるでしょうが、大学の学部でわかること、大学院でわかることは違います。そう考えると、何度も繰り返すことで、らせん的に理解が深まってくるというイメージでしょう。その意味では、学術論文の「形(型)」は、できるだけ若い時から学び始めるのが良いと思います。

宮崎: 現実には、学校や学年によっていろいろですね。でも先生、図表の書き方は一回教われば済むことではないでしょうか。確かに何度も繰り返して深めていくものもあるけれども、一回教われば済むこともあると思います。

中山: 確かにそうですね。図表の書き方の基本はまず小学校でしょう。そして学術論文を作っていく基礎レベルのスキルとしては、大学の学部教育で実習・実験でレポートをまとめる時に学ぶ必要があります。お作法を教えるのは、やはり私たち教員の役割です。先生方が、どのように図表の作り方を学生に教えているか、興味深いですね。タイミングの良い一言で解決する課題は結構ありますね。それを知らないが故に将来恥ずかしい思いをしてしまうこともあるわけで、教える方の責任も重大です。

宮崎: 繰り返し教育することと、タイミングよく1回教えれば済むこともあるわけですね。今日は、医学コミュニケーションのスキルとその教育、トム・ラング先生の印象について中山先生にお話しいただきました。ありがとうございました。