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第1回 医学コミュニケーション:大きな円の弧として


宮崎: はじめまして、宮崎貴久子です。中山健夫先生とご一緒に、『トム・ラングの医学論文「執筆・出版・発表」実践ガイド』の監訳をさせていただきました。監訳作業中に、中山先生に本当にいろいろなことを教えていただきました。その時のエピソードを思い出し、中山先生とご一緒に、トム・ラング先生の本を読みながら、お話を伺います。
中山先生、宜しくお願いいたします。『トム・ラングの医学論文「執筆・出版・発表」実践ガイド』が出版されてから1年がたちましたが、いかがでした?

中山: もとの本がとても魅力的だったのに加えて、多くの方々にご協力をいただけて良い形になりました。「使ってよかった」という話を聞くのは本当に嬉しいことです。

宮崎: そうですね。トム・ラング先生のこの本の特徴と言いますと、なんでしょうか。

中山: トム・ラング先生は本書の前に、望ましい医学統計の報告の在り方をまとめた名著『How To Report Statistics』を出されています。そこで「信頼される学術論文を書くには、必要な統計を理解した上でそれをきちんと書く、読み手に伝わるように書くことが非常に大事」ということをスタンダードとして提示されました。これは素晴らしいことです。その基盤に立って、さらに大きな展開として、今回は「Write, Publish and Present」、書いて、出版して、それから発表するというところまで広げられたことは、ラング先生自身の幅広い関心と見識を改めて感じさせられました。本書は包括的な学術的コミュニケーションの教科書として大きな到達点に違いありません。

宮崎: 包括的な学術的コミュニケーションとして「伝わるように書く」というあたりでしょうか。

中山: そうですね。不思議を解こうとする気持ちは研究の大きな出発点ですから、「自分が納得すればそれで終わり」というような考えも昔は多かったのかもしれません。今は“publish or perish(書くか去るか)”と言われるように、研究者にとって論文執筆は日常的なプレッシャーになりました。その上で思うのですが、研究という営みは、こういった個々の研究者の好奇心やサバイバルにもちろん留まるものではなく、知識の体系 “body of knowledge” を研究者が時代や場所を越えて、協力して作り出していく大きな集合的な営みだということです。ですから、それぞれの研究者が「自分は大きな部分の一部」という感覚を時々思い出すことがとても大事だと思うのです。そのためには、他者とのコミュニケートへの意識の高まりは当然と言えます。そのような学術的コミュニケーションを通して医学・生命科学研究者は、他の領域以上に、「自分の中で終わる」のではなく、大きなものの中での自分の役割に気付けると思いますし、その意識が必要とされていると思います。

宮崎: 大きなものの中の自分の役割というところで、コミュニケーションがより必要になってくるということでしょうね。

中山: それでなければ、研究をしても「自分が納得して終わり」、論文も「自分が書きたいように書いて終わり」ということになってしまうかもしれません。

宮崎: トム・ラング先生の本を翻訳するまで、 そのあたりのことを意識していませんでした。

中山: 以前、聖路加看護大学の日野原重明先生が「大きな円を意識して、その弧の一部になりなさい」と話されていたことを思い出します。それはまさに医学・生命科学、そういったような大きな科学的な知識の中で、それぞれの研究者が「大きな円の弧」になるためのコミュニケーションがとても大事だと思います。
「科学の知」とは、ライティングを中心とする研究者の学術的なコミュニケーションによって蓄積されていくことを、本書の翻訳を通し私も改めて感じました。
今、医学部の4回生のチュートリアルでEBM入門の話をしているのですが、その中で図書館の機能・役割を知ってもらう時間をつくって、医学図書館の司書さんにお願いして図書館ツアーを行っています。 そうすると、利用者が普通行かないような、古いジャーナルが製本されている独特の湿っぽい雰囲気のある書架室があるわけですね。そこには1800年代からの世界のジャーナル、ニューイングランドジャーナルやLancet、JAMA、日本医師会雑誌や医事新報など、いろいろ手に取ってみることができます。その中に学生さんたちを連れていくと、いつもと少し目が違ってくるのですね。「この知識の延長線上に僕たちはいるんだ」というようなことを誰かが言うのです。まさに時と場所を越えて蓄積されたライティングコミュニケーションによる知識の体系を実感できるのです。
今は多くのジャーナルがオンラインで読めます。 それはとても便利で良いのですが、知識の量を目や手、匂い、そして空気といったもので感じることができないのですね。

宮崎: はい、なるほど。自分が欲しい文献はすぐに読めるけれども、全体量とか総量ということは実感できない。

中山: そうですね。図書館の蔵書に囲まれて、「君たちの将来行う研究も、ここのひとつずつの所に入ってくるんだ」と話をします。「誰にでも書けるわけじゃないから、きちんと考え方や技術を学んで、きちんと書いていかないとね」と。どんなにいいことを考えていても、それを表現して伝える力や技術が無ければ、残念ながらゼロになってしまいますし、どんなに技術があっても、その背景にあるものをまったく意識していなければ、やはり「何か足りない」という感じになっていくでしょう。
ラング先生の本には、テクニカルな内容や知っていると助かるスキルもたくさん書かれていて本当に役立ちます。同時に、その背景にあるプリンシプルやスピリッツが、ごく普通に、自然にあちこちにちりばめられていることが素晴らしいですね。

宮崎: 確かにトム・ラング先生は、 その両方をしっかり踏まえていらっしゃるなと思います。今日は医学・科学的コミュニケーションについて、トム・ラング先生のご本から、中山先生にお話しいただきました。ありがとうございます。


「君たちの将来行う研究も、ここのひとつずつの所に入ってくるんだ」

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